法学の道を歩んだこともあるものの、華々しいレスラーであるKIDにとって自分の目指すところは明白だったようだ。
2011年、神奈川県出身のKIDは「自分は常にファイターだった。法律家になろうかとも思ったけれど、そんなに深く考える必要もなかった」と語っている。
KIDを駆り立てたのは、姉から見せられた1本のビデオテープだった。
「24歳のとき、姉から総合格闘技のビデオをもらった。自分の階級の試合を見たときに“俺の方がずっと強い“と思ったんだよね。その時、レスリングをやめて総合格闘技を始めようと決意したんです」
総合格闘技(MMA)の世界では遅いスタートだったものの、急速に頭角を現したKIDは2002年にステファン・パーリングとの対戦で黒星をつけられるまで3勝0敗1ノーコンテストを記録していた。だが、KIDについて語るときに重要なのは勝敗ではない。大事なのは彼がリングにいるときに日本のファンに与えてきたあの感情であり、全力で敵を倒すために一つ残さずあらゆるパンチ、膝、蹴りを繰り出してきたファイティングスピリットだ。
RIP…. Norifumi “Kid” Yamamoto 😞 pic.twitter.com/K8OJblm0ip
— Dana White (@danawhite) 2018年9月18日
2006年、宮田和幸戦での4秒KOキックから2007年にハニ・ヤヒーラに浴びせたサッカーキックに至るまで、数々の試合によってKIDは軽量級の恐るべきファイターとして認識されていった。2002年から2007年にかけてホイラー・グレイシー、宇野薫、須藤元気らを倒しており、KRAZY BEEを率いるKID以上の選手を見つけるのはそう簡単ではない。
次第にWEC(ワールド・エクストリーム・ケージファイティング)の傑出した選手であるユライア・フェイバーやミゲール・トーレスとの試合がささやかれるようになったKIDだが、結果としては2011年にWECではなくUFCバンタム級での戦いが実現。期待は高かったものの、デメトリアス・ジョンソン、ダレン・ウエノヤマ、ヴァウアン・リーらに敗北している。
UFCでつまずいた理由について、KIDは2012年に“負傷によるトレーニング不足”を挙げており、この負傷によってUFCでの戦歴は4戦に限られた。
生涯にわたる戦績は18勝6敗2ノーコンテストだったが、ファンやその戦いを追ってきた者たちの心に残るのは数字ではなく、誰にも手の触れられない苛烈な戦士としてのKIDの姿だ。
誇らしく戦い、よく生きた。第2のKIDは決して現れないだろう。安らかに。