UFCがアンソニー・ペロシュの地元オーストラリア・シドニーに初めて乗り込み、UFC 110を開催した2010年2月、ペロシュは傍観者として試合を見守る予定だった。 2006年にUFCデビューを果たすも0勝2敗と振るわず、いったんはUFCからリリースされてしまったペロシュ。それでも、友人であるエルヴィス・シノシックをサポートしながら総合格闘技のキャリアを継続し、5勝2敗の戦績を残していたペロシュは、UFC 110に出場予定だったベン・ロズウェルが病気欠場を強いられた際、オクタゴン復帰を一気に早める、まさに絶好の立場にいたと言える。 試合の2日前という直前の決定にもかかわらず、ミルコ・クロコップとの一戦に挑んだペロシュは敗北こそ喫したものの、多くのものを勝ち取った。 当時を振り返るペロシュは「チャンスがめぐってきたら、それをつかむんだ。自分の目の前にいるのは誰かとか、準備期間の長さなんて関係ない。自分にとっては、ものすごく大きなチャンスだったから、絶対にやりたいと思った。試合についてはたくさん褒めてもらったし、かなりリスペクトしてもらえるようにもなった。要するに、あの試合のおかげだよ」と語っている。 UFCキャリアを再スタートしたペロシュはそれからの数年間で9試合に出場し、世界中の総合格闘技ファンに感動と興奮を与えてきた。しかし、25日(月)、ペロシュは43歳での引退を発表した。 「この前のキャンプは肉体的にも精神的にもものすごく厳しかったし、少し自信が持てなくなった。自分自身に疑いが出てきた感じかな。この前のキャンプではそういう気持ちが何度も湧き上がってきたんだ。そのことは誰にも伝えなかった。ただ、いつも“いつ引退するのか”と聞かれた時には、次の3つのうちのひとつでも当てはまったら辞めると答えてきた。体が動かなくなったら辞める。勝つより負けが多くなったら辞める。そして3つ目が、自分がもうやりたくないと感じたり、自分自身に疑いを抱くようになって100パーセントの気持ちで戦えなくなったら、もう潮時だってこと」 引退についてそう話したペロシュはさらに「UFCで3連勝を飾った時のことを思い出そうとしたんだ。あの時、自分がどう感じていたかってね。あの気持ちを取り戻したかったんだけど、できなかった」と付け加えた。 昨年11月に開催されたUFC 193でジアン・ヴィランテに破れたが、ペロシュがキャリアを通して勝敗にかかわらず、全力で戦ってきたことは誰もが理解している。
「試合を見てくれた人たちが、自分のことをフィニッシャーだと思ってくれているとうれしいな。常にフィニッシュしようとしていたってね」
「試合を見てくれた人たちが、自分のことをフィニッシャーだと思ってくれているとうれしいな。常にフィニッシュしようとしていたってね。オレたちが戦っているのは総合格闘技だけど、オレが対戦相手をマットに沈め、ボコボコにしてチョークを決めたがっていたことはみんなが分かってくれていたと思う。それがMMAの素晴らしいところなんじゃないかな。何かすごいことをやってくれそうな奴だと知られていて、しかもそれを実行できれば最高でしょ」 12試合を戦ったUFCで5勝7敗の成績は、ペロシュがオクタゴンで見せたエキサイティングな試合を反映しているとは言えない。ニック・ペナーとヴィニシウス・マガリャエス相手にKO勝利を飾り、トム・ブラックレッジとシリル・ディアバテ、グト・イノセンチにサブミッション勝ちを収めたペロシュの試合は退屈とは無縁だった。その上、ブラジリアン柔術の黒帯保持者で母国オーストラリアでは総合格闘技のパイオニアの一人でもあり、オクタゴンの外でも絶大な影響力を誇っている。 「オレがクロコップと対戦した時には、自分とカイル(ノーク)、ジョージ・ソテロポロス、ジェームス・テフナしかいなかった。2010年の話だ。6年たった今は20人から25人のオーストラリアとニュージーランド出身のファイターが(UFCに)いる。さらに6、7年たてば50人なるだろう。素晴らしいね」 2つのジムで650人の生徒に教えているペロシュは、将来的にこの生徒たちがオクタゴンに上がり、自身がコーチを務めたいと考えている。 「UFCで12試合に出場したけど、もう25回ぐらい戦いたかった。でも、今後は生徒の後押しをして、コーチになりたいと思う。生徒たちがオレに刺激を与えられたとか、パイオニアだとか思ってくれたら、幸せなんてもんじゃないし、そう呼ばれれば名誉だね」 ペロシュの生涯成績は15勝10敗。全勝利をKOかサブミッションで決めている。