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ケビン・ランデルマン【1971年 - 2016年】

 

2月11日(木)、元UFCヘビー級王者のケビン・ランデルマンが肺炎の合併症により、この世を去った。スポーツへの熱意とレスリングに対する洞察に加えて、カリスマ性と強さを併せ持ったファイターだった。享年44。

11人兄弟の家庭に生まれたランデルマンは、親しい友人でもあるマーク・コールマンと同様にオハイオ州立大学のレスリング部で活躍した。その成績は“ザ・ハンマー”ことコールマンを上回るもので、NCAAディビジョン1の選手権で2度の優勝を果たしている。

大学レスリングに続いてランデルマンは1996年10月にMMAの世界に足を踏み入れる。ブラジルのバーリトゥードのイベントでは一晩で3試合に出場して優勝し、注目された。

ブラジルで8戦を終えた1999年にUFCに登場。元ヘビー級王者のモーリス・スミスを倒し、衝撃のデビューを飾っている。2カ月後、ランデルマンは空位となったタイトルを懸けてバス・ルッテンと対戦したが、後に殿堂入りするルッテンに判定負けを喫した。

ルッテンがタイトルを返上するとランデルマンは再びタイトル候補となり、1999年11月のUFC 23でピート・ウィリアムズを破って今度こそ文句なしの王座を手に入れる。ペドロ・ヒーゾには防衛に成功した“ザ・モンスター”だったが、2000年にランディ・クートゥアに敗れて王座を退いた。

ヘビー級に転向したランデルマンはUFC 31でチャック・リデルにノックアウトされ、次の1戦がオクタゴンでの最後の試合となる。UFC 35でレナート・ソブラルを判定勝ちで破り、彼はオクタゴンを去った。

だが、“ザ・モンスター”の戦いはここで終わらない。日本に渡った彼はPRIDEのスターとなり、2002年から2006年まで11試合を戦った。記憶に残るのは2004年のミルコ・クロコップに対する見事なノックアウト勝ちだ。また最終的に敗れはしたものの、エメリヤーエンコ・ヒョードルを相手に見せたスープレックスは今もMMA界で語り草となっている。

2011年にバガ・アガエフに敗れてランデルマンは引退したが、その後もMMAイベントでは欠かせない存在で、ファンに囲まれればすぐに笑顔で握手に応じた。突然の訃報は悲劇としか言いようがないが、妻のエリザベス、彼の子どもたち、残りの家族や友人たちにとっては、ケビン・ランデルマンがこの世にたった一人の存在であり、彼が人々に忘れられることのない記録を残したという事実がいくらかの慰めになるはずだ。

確かにそうだろう。しかし、一人の人間の勝利と敗北、その記録だけですべては伝えられない。ランデルマン自身がどのような人物で、彼がMMAというスポーツ、それに関わる人々にどんな影響を与えたかはそれだけで言い表せるものではないのだ。

ケビン・ランデルマンという人物がいなければ、筆者はいろいろな意味で今ここにはいなかっただろう。彼は私が生まれて初めてインタビューしたファイターである。ブルース・バッファーのウェブサイトで仕事を始めたばかりだった私は彼からランデルマンの記事を書くことを提案された。

もちろん、私は大いに興味を持った。“ザ・モンスター”といえば、その名前以上に大きな存在だったからだ。身長は178cmに過ぎなかったが、オクタゴンに入った時の彼のたたずまいはスーパーヒーローのようだった。彼のウオームアップは膝を上げて空中に高くジャンプするのが定番で、ケージを飛び越えそうな跳躍力を持つ。まるでビデオゲームからそのまま飛び出してきたかのようで、初期のUFCゲームでランデルマンを自分のキャラクターに選んだことのある人なら、この感覚が分かるはずだ。彼のハイキックは敵が誰一人として防げない必殺技だった。ブリーチされたブロンドの髪と彼の伝説的強さ。誰もがもっと彼のことを知りたいと思う、それがランデルマンだった。

彼のインタビューを打診された時、彼はランディ・クートゥアとUFCヘビー級王者として2度目の防衛戦に臨むところだった。ところが当時UFCを所有していた『SEG』とのトラブルで、彼はどこからも取材も受けないという知らせが届いた。しかし、バッファーの努力によってどうにか実現にこぎ着け、電話越しにランデルマンと話した私にとって、その会話は一生忘れることのできないものとなったのである。彼にインタビューしたことのある者なら誰でも、それがユニークな経験だったと認めるだろう。彼の話しぶりは情熱的で、オハイオ時代の苦労話にジョークも飛び出し、時には口げんかにまで発展する。ランデルマンとの会話にオフレコというものは存在しない。どんな話題でも彼はずばりと核心を突いてくる。

電話を置いた私は、当分MMAの世界に籍を置こうと決めた。

「オレはファイターだ」とその最初のインタビューでランデルマンは私に言った。「オレはすごく情熱的な人間だし、やることすべてに気持ちを込める」

彼を相手にするなら、それを尊重することが重要だった。別の機会のインタビューで、私はランデルマンが当時のライトヘビー級王者だったティト・オーティズから相手にされていないのではと質問したことがあった。彼はかけていたサングラスを外して私をにらみつけたが、すぐに気の利いた受け答えでかわし、力強い握手をしたあとも気さくに話しかけてくれた。

これ以外にも激しいやりとりをしたことがある。それでも彼はいつも敬意を示してくれた。リポーターであるわれわれにも仕事があるのだと理解してくれていたのだ。多少の丁々発止が必要なこともあったが、彼は常にわれわれの望みに応えてくれた。ランデルマンとのすべてのやりとりが記憶に残っている。だが、私に関する限りでは、その最も素晴らしい話をこれまで記事にしたことはない。

数年前、UFCのイベントで彼がヨーロッパに旅した際、そのキャリアは終わりを迎えようとしていた。“ザ・モンスター”がホテルのバーに入ってきたので、私は自己紹介した。私たちが個人的に会話したのは過去に1度しかなく、それも2001年のリデル戦前のこと。私の名前を聞いて彼はしばし記憶を探っている様子だったが、次の瞬間、私は彼にチョークをかけられていた。ありがたいことに締め上げられはしなかったが、同じくらいの速さで今度は手を握られたかと思うと、ハグされ、見ると、彼はあの満面の笑みを浮かべていた。悲しいことにそれが彼との最後の会話になってしまったが、何と素晴らしい思い出だろう。

ケビン・ランデルマンはあの時のまま私の中で記憶される。

UFCはケビン・ランデルマンのご家族とご友人に心よりお悔やみを申し上げます。