多くのファイターはある程度の評判を得てからUFCに登場するものだ。グローバー・テイシェイラは違う。 オクタゴンに初めて足を踏み入れた2012年までに、リコ・ロドリゲス、マービン・イーストマン、マーシオ・クルーズ、ラモー・ティエリ・ソクジュらをKOで下し、15連勝を含む17勝2敗の記録を誇っていたにもかかわらず、ブラジル出身のテイシェイラはただのひとつも評価されていなかった。まるで都市伝説のように、UFCファンの間で名前だけは飛び交っていたものの、実際に姿を目にした者はいなかったのだ。 UFCデビュー戦でカイル・キングスブリーを打ち破ったテイシェイラがそのキャリアでライトヘビー級のトップにまで上り詰め、今週末に控えるUFC 202のセミメインイベントでアンソニー・ジョンソンと対戦するほどに活躍するとは想像すらしていなかった人も多い。 ブラジル・ソブラリア出身のテイシェイラはアメリカでの生活を始めるためにコネチカット州を訪れるも、そこで思いがけない新たな旅の始まりを経験したと語っている。 「初めて行ったジムがここダンベリー(コネチカット州)にある。ボクサーを目指していたんだけど、友達にホイス・グレイシーがUFCで戦っているビデオを見せられて、3カ月後には気持ちが変わっていた。あの時、オレのファイターとしての夢が変わったんだ。友達はビデオを見て“クレイジーだな”って言っていたけど、オレは挑戦したくなった(笑)。クレイジーなことしてみたかったんだ」 2002年にはプロ格闘家として活躍しており、当時22歳だったテイシェイラは、すでに注目のファイターとして評判を集め、試合の際にはジョン・ハックルマンやチャック・リデルなどの強力なバックアップを味方につけていた。テイシェイラが“ザ・ピット(ジム)”の創設者であるハックルマンに出会ったのはプロ1戦目を終えた後だった。ハックルマンはその後すぐに“ジ・アイスマン”ことリデルと共にテイシェイラのトレーニングを開始している。 ハックルマンと出会った当時のことをテイシェイラは次のように振り返っている。「初試合の相手はハックルマンがトレーニングしていたファイターだった。試合後に電話してきて、一緒にトレーニングしたら強くしてやるって言われたんだ。初めてジョンとトレーニングするために“ザ・ピット”を訪問した時、オレは本当に無知だった。チャックにすべて教えてもらった。柔術の経験はあったけど、レスリングだったり、ストライキングだったりは全部チャックに教わった」 ビザの問題でブラジルに帰国せざるを得なくなり、UFCと契約するチャンスを逃していたテイシェイラにとって、リデルのアドバイスは不可欠だったと言う。落胆していたテイシェイラはそれでも希望を捨てずに戦い続け、白星を重ねながら問題の解決を待ったのだ。 「チャックに言われたことがある。“何があっても戦え。誰も倒せなかったら、それはここにいる資格がないってだけだ。勝敗を気にして戦ってはだめだ。とにかく戦い続けろ”ってね。ケガしていない限り戦い続けた。いつかは道が開けると信じて」 敵を1人1人と下していったテイシェイラは記録を伸ばしていく。その間もテイシェイラはUFCファイターになる決意を忘れなかった。 「自信はあったけど、UFCに入るのをずっと待つ気はなかった。35歳や37歳になってからじゃ遅い。でも、遅かれ早かれUFCに入れると分かっていた。どうなろうとずっと戦いを続けて、勝利記録を伸ばすつもりだったよ。どっちにしろ、30勝か40勝くらいすればいずれUFCから電話がくると思っていた」 2012年にビザが下りると同時にUFCから電話を受けたテイシェイラ。UFCで10試合を経験したテイシェイラは、今やライトヘビー級を代表するファイターとなっている。家族と共にダンベリーに移住し、自宅近くにジムも開設した。グローバー・テイシェイラこそアメリカンドリームを成し遂げた男と言っていいだろう。