ジョーンズvsエヴァンス戦までの道のり
2005年11月5日 ラシャド・エヴァンスはTUFシーズン2のヘビー級トーナメントを制した後、ライトヘビー級へと階級を落とし、グレッグ・ジャクソンズ・サブミッション・ファイティングキャンプへと参加する。
2008年8月9日 21歳のジョン・ジョーンズはわずか8か月のトレーニングを経て、アンドレ・グスマォンとのUFCデビュー戦を3-0の判定で制す。
2008年9月6日 エヴァンスはUFC88でUFCのレジェンド、チャック・リデルを下し、ベルトへの挑戦権を得る。
2008年12月27日 エヴァンスはフォレスト・グリフィンを3ラウンドKOでくだし、ライトヘビー級王者となる。
2009年1月31日 ジョーンズはUFC94でステファン・ボナーをくだす。ここで見せた、スピニング・エルボーとスープレックスが話題になる。
2009年5月23日 エヴァンスは王座防衛をかけてリョート・マチダと対戦するが、2ラウンドKO負けを喫する。
2009年8月22日 チームメイトとは戦わない事を約束し、ジョーンズはグレッグ・ジャクソンズ・サブミッション・ファイティングキャンプに加入する。
2009年9月30日 エヴァンスは「ジョーンズはチャンピオンになる」と称する。二人は兄弟のようにお互いを思っていた。
2010年5月29日 エヴァンスはクイントン・“ランペイジ”・ジャクソンを下し、マウリシオ・“ショーグン”・フアへの挑戦権を手に入れる。
2010年6月10日 フアが膝を故障する。これを受けて、エヴァンスは暫定王者戦を行うより、フアの回復を待つという決断を下す。その試合は2011年3月に決まった。
2011年2月4-10日 エヴァンスは負傷してしまい、これによりベルトをかけたフアとの一戦がなくなってしまう。しかし、その翌日にジョーンズがライアン・ベイダーに勝ったことで、エヴァンスはジョーンズにタイトル挑戦権を譲った。また、エヴァンスはジョーンズと戦う事を避けるために、階級変更を決意する。 2011年3月3-4日 UFC Liveの中で、ジョーンズは「デイナ・ホワイトを尊敬している。だからもし、彼がエヴァンスとの対戦を希望するなら、それも起こりえる」と語った。これに対し、MMA Liveの中でエヴァンスは怒りを見せながら、「もしジョーンズがベルトを取ったなら、今後について考えなければならない」と述べた。
2011年3月19-22日 ジョーンズはフアをくだし、史上最最年少のUFCチャンピオンとなった。このあと、エヴァンスはMMA fightingの取材に対して、チーム・ジャクソンを離れる事を明かした。「ジャクソンとはおさらばだ。ジョーンズとの戦い方はわかっている。やつとずっとトレーニングをしていたのだからね」と語り、拠点をフロリダに移した。
2011年4月25-27日 ジョーンズは右手靭帯を負傷し、これによりエヴァンスとの防衛戦が延期になった。これに対し、エヴァンスはジョーンズの復帰を待つよりも、フィル・デイビスとの代替え試合に応じた。
2011年5月12日、15日 ラスベガスのクラブで、エヴァンスとジョーンズが一触即発状態となり、ジョルジュ・サンピエールが仲裁に入る。エヴァンスはジョーンズの怪我に疑問をもち、「あいつは手術の必要なんてないんだ」と主張した。
2011年7月13日 デイビスが膝の故障を理由にエヴァンス戦をキャンセル。また新たな火種を抱える事となった。
2011年8月6日 ティト・オーティズ戦を制したエヴァンスは史上最高の状態にあるかと見えた。しかし、2か月後、オーティズ戦で負傷した親指の怪我が完治せず、ジョーンズ戦をキャンセルせざるを得なくなる。
2011年9月24日 ジョーンズはランペイジを4ラウンドで下し、初防衛に成功する。
2011年12月10日 ジョーンズはリョート・マチダに勝ち、2度目の防衛を成功させ、2011年を締めくくった。
2012年1月28日 エヴァンスは5ラウンドの末、デイビスを下しベルトへの挑戦権を手に入れた。
2012年2月6日 ジョン・ジョーンズvsラシャド・エヴァンス戦が決定。ライトヘビー級では、リデルvsオーティズ戦以来の大きなタイトルマッチ。4月のアトランタ大会で開催されることが決まる。
2012年2月16日 友達同士だった二人は、UFC145のプレスカンファレンスでお互いを侮辱した。ジョーンズはエヴァンスが嫉妬していると非難し、エヴァンスはジョーンズを『偽物』と揶揄した。
2012年4月21日 ジョン・ジョーンズvs ラシャド・エヴァンスがUFC145のメインイベントとして開催される。
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