
UFCの歴史はオクタゴン内外の無数の忘れがたい場面に彩られている。日本時間7月10日(日)に開催予定のUFC 200でも、必ずやそうしたシーンが生み出されることだろう。しかし、まずその前に、UFCファンなら忘れることができない10の記憶を思い起こしておこう。
UFC 1:第1回大会
リアルファイトで勝ち残るのはどのスタイルの格闘技なのかをはっきりさせようと企画されたジ・アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ(UFC)の第1回大会は、米国時間1993年11月12日に行われた。ホイス・グレイシーが柔術および、後にミックスト・マーシャル・アーツ(MMA)として知られることになるものをアメリカに初めて持ち込み、これが革命の嚆矢(こうし)となったのである。コロラドで行われたこの大会で、当時無名のグレイシーは、アート・ジマーソン、ケン・シャムロック、ジェラルド・ゴルドーを下して、初のUFCトーナメントを制し、このスポーツの光景を永遠に変えてしまったのだった。
UFC 30:『Zuffa(ズッファ)』参加での初大会
ロレンゾ・フェルティータ、フランク・フェルティータ、デイナ・ホワイトが率いる企業『Zuffa(ズッファ/イタリア語で“ファイト”の意味)』が2001年1月、経営難にあえいでいたUFCを買収、ここからMMAを大衆に広げていく活動が始まる。新オーナーの元で初めて開催されたUFC 30は、アトランティック・シティのトランプ・タージ・マハールが舞台。ティト・オーティス、エバン・タナー、ジェンス・パルバー、宇野薫、ジョシュ・バーネット、ショーン・シャークら、後のスター選手やチャンピオンが多数参戦した。
UFC 40:初のスーパーファイト、オーティス vs. シャムロック
UFC新時代がギアを入れて加速し始める中、ある試合がとりわけファンの心をつかんでいた。2002年に行われた王者ティト・オーティスと挑戦者ケン・シャムロックのライトヘビー級タイトルマッチがそれである。当時、オーティスは団体の顔、そしてUFCのパイオニアであるシャムロックは、WWFでのプロレス参戦を経て、より一層人気者になってUFCに戻ってきていた。それ以上に両者の間には、シャムロックと所属先のライオンズ・デンに対する“ハンティントンビーチ・バッドボーイ”ことオーティスのリスペクトに欠けた言動をめぐる因縁に起因する長年のライバル関係があったのである。UFC 40のメインイベントは、結果的にはオーティスのワンサイドゲームとなり、盛り上がりに欠けるものとなってしまったが、試合に至るまでの期待感の高まりは新時代のUFC人気の先駆けとなった。
2005年:TUF(ジ・アルティメット・ファイター)スタート
UFC会長のデイナ・ホワイトはリアリティーショーであるTUFをUFCの破壊工作員であると呼んだ。プロファイターの生身の姿と、スポーツに対するひたむきさを目の当たりにしたファンを取り込み、いったん取り込めば夢中になってくれるはずだという算段である。このズッファの判断が、おそらく会社を救ったのだった。この番組が放送され、フォレスト・グリフィンとステファン・ボナーがTUFシーズン1のトーナメントの歴史的な決勝戦で番組を締めくくるまで、ズッファは猛烈なペースで赤字を計上していたのだ。本当の意味でのアメリカでのMMA人気の爆発は、ここから始まったのである。
UFC 100:ザ・ビッグイベント
TUFフィナーレやUFCファイトナイトなどを含めると、実際のところUFCとして133回目の大会にあたるのだが、それでも2009年7月に行われたこの大会は、ナンバーシリーズとしては記念すべき大会であり、団体としても全力を尽くしての取り組みとなった。UFC 100の大会前には第1回UFCファンエキスポが開催されている。大会当日の豪華カードを締めくくったのは次のトリプルメインイベントだ。まずはブロック・レスナーとフランク・ミアのヘビー級タイトルを懸けた再戦、ジョルジュ・サンピエールとチアゴ・アウベスのウェルター級タイトルマッチ、そしてTUFシーズン9のコーチ対決となったダン・ヘンダーソンとマイケル・ビスピンの一戦だ。“世界のファイトキャピタル(格闘技の首都)”であるラスベガスでこうしたイベントを催せば、忘れがたい一夜が生み出されることになる。
UFC 129:初のスタジアム大会
かねてウワサされていたUFCのスタジアム大会開催が2011年になって実現する。カナダのオンタリオ州トロントにあるロジャーズ・センターで開催されたUFC 129には、UFCの観客動員記録となる5万5,724人のファンが駆けつけた。自国の人気者ジョルジュ・サンピエールはメインイベントでファンの期待を裏切ることなく、トップコンテンダーのジェイク・シールズに5ラウンド判定勝ち、ウェルター級タイトルを防衛したのだった。なお、最多観客動員数は2015年にオーストラリアのメルボルンにあるエティハッド・スタジアムで行われたUFC 193が5万6,214人を記録して更新されている。
UFCとFOXが画期的な放映契約を締結
2011年8月、UFCは米ケーブル局『Fox Sport(FOXスポーツ)』と7年契約を締結。大会中継をプライムタイムの地上波やケーブルチャンネルで放送し、全国のお茶の間やスマートフォンに届けることとなり、メインストリームスポーツ化に向けて、これまでで最大の一歩を踏み出した。米国時間2011年11月12日に放送された第1回地上波中継では、ジュニオール・ドスサントスがケイン・ベラスケスをノックアウトに沈めている。この契約により、UFCを見たいアメリカのファンは事実上、何曜日であっても番組を見つけることができるようになった。
UFC 157:女子部門スタート
ゲームチェンジャーはロンダ・ラウジーだった。UFC会長のデイナ・ホワイトはStrikeforce(ストライクフォース)のバンタム級チャンピオンだったラウジーの試合を見て、MMAトップ団体であるUFCにも女子部門をスタートしようと決断したのだ。いったん決めたら、そこからの行動は早かった。初代UFC女子バンタム級チャンピオンに任命されたラウジーと、挑戦者のリズ・カムーシェは2013年のUFC 157でUFC史上初の女子戦を行い、ラウジーが1ラウンド、アームバーでタイトルを防衛したのだった。
UFC、『Reebok(リーボック)』とスポンサー契約
2014年12月、UFCが『Reebok(リーボック)』と画期的なアパレルスポンサーシップ契約を締結したとのニュースが業界を駆け抜けた。この契約によりMMAの風景は刷新され、NFL(アメフト)やNBA(バスケットボール)、NHL(アイスホッケー)、MLB(野球)に並ぶ正統派プロスポーツとしての地位をさらに固めたのである。この契約について、UFC会長兼CEOのロレンゾ・フェティータは、「これは放映を除くと当社最大のパートナーシップ契約になる非常に重要なものだ」と語っている。
UFC 196:マクレガー vs. ディアスが格闘技の世界を魅了
今年3月に開催されたUFC 196のメインイベントでUFCフェザー級チャンピオン、コナー・マクレガーと激突する予定だったライト級チャンピオンのハファエル・ドス・アンジョスの欠場は、大会の盛り上がりに水を差す大惨事になるものと思われた。しかし、マクレガーは出場にこだわり、階級を2つ上げて、代役を引き受けたネイト・ディアスと対戦。結果的には、試合に至るまでのとんでもない盛り上がりと、その勢いを越えてくる試合が繰り広げられたのである。ディアスがマクレガーの序盤の猛攻を寄せ付けず、2ラウンドにマクレガーから一本勝ちを奪った。さらに、ミーシャ・テイトのホリー・ホルム戦でのアップセット勝利による女子バンタム級ベルト奪取劇もあり、ガタガタになってもおかしくなかった大会が、UFC史上有数の大成功のうちに幕を閉じたのである。