日本時間18日(月)に開催されるUFCファイトナイト・ボストンで挑むフランシマー・バローゾ戦を前に、UFCからの歓迎を受けたエルビス・ムタプチッチは自身のニックネームである“ザ・キング”の由来となったエルビス・プレスリーに不気味なほどそっくりに「どうもありがとう」と感謝を述べた。 「練習してきたんだ」と笑うムタプチッチだが、今回の試合は直前に急きょ決まったことに加え、彼のキャリアにおいて最大の試合であることは間違いない。 「突然の通知ってことはないさ。そんなことは全然ない」 エルビス・ムタプチッチのデビュー戦など、UFCファイトナイト・ボストンのアーリープレリムは日本時間18日(月)8時スタート!この反応こそ、数々の強豪UFCファイターを輩出してきたアメリカ中西部出身者ならではだ。ジョシュ・ニアーやジェレミー・スティーブンスをはじめ、総合格闘技のトレーニング組織『Miletich Fighting Systems(ミレティッチ・ファイティング・システム/MFS)』一派の存在を思えば、出身地名にアイオワと書かれた時点で自動的に尊敬の眼差しで見られることになる。ムタプチッチの出生地はサラエボ(ボスニア・ヘルツェゴビナの首都)だが、彼はすっかりアイオワ州の州都デモインに骨を埋めている。「キャリアのほとんどを通してアイオワで戦ってきたし、育ちも中西部だから、たくさんのタフなファイターたちと戦ってきたことが助けになっているのは間違いない」と語るムタプチッチは「自分の力は絶対の自信を持っている。それに今回の試合に対する不安は一切ない。すべてのことに取り組みながら試合に臨み、ベストなパフォーマンスを披露する」と続けた。とはいえ、何がアイオワのファイターたちをそこまで強くさせるのだろう?「無知だから」と無表情で皮肉をかましたムタプチッチは笑いながら「いや、つまり、それが一番の方法かなって。他の皆よりもかなり殴られているし、自分たちはかなり厳しい練習を積んできている。トレーニングを始めた当初はとにかくやるだけだと思っていたし、スパーリングはただただ激しかった。そのやり方じゃダメだなって気づいてからは少し変えたけど、その精神を鍛えられているだけに、どんなハードワークだってこなせる。試されているのさ。その後はもうすべてがどうってことない。成長と改善がすべてだ」とも話した。ムタプチッチにとっての試練はジムや試合だけにとどまらない。家族とともに2000年8月にボスニアからアメリカにやってきた頃から試練の連続だったのだ。当時わずか14歳だったムタプチッチにとってはおそらく新たな国と文化に慣れ親しむ上で最悪の年齢だったと言えるだろう。総合格闘技に出会うまでは相当苦労したという。「10代だと言葉の壁が乗り越えるべき大きなバリアになるからね。それにあっちとこっちでは何もかもが違う。あっちは特に戦争の後だっただけにあんまりルールや規則がなかったし。だからちょっと調整が必要だったんだ。あっちに住んでいる頃は本当にやんちゃだった。こっちに来たときにちょっと落ち着かなきゃいけないくらいにね。歳を重ねていくとトラブルに巻き込まれやすくなった。自分はそれほどトラブったりはしてなかったけど、身近にいた。その後、MMAと出会い、はまって、ここまで成長させてもらった」現在29歳のムタプチッチは2007年のプロデビュー以来、18試合を戦って15勝を記録しており、サム・アルベイやセザール・フェレイラ、ザック・カミングスらにも勝利している。この戦績を見れば、ムタプチッチはもっと早くにオクタゴンに呼ばれているべきだったと言う声も多い。本人もその意見に同調する。またも顔に笑みを浮かべつつ「予想外だった、と言えばウソになるよね」と明かしたムタプチッチは「でも、すべてのことに理由がある。今はここにいるから、それを最大に生かしたい。この瞬間を受け入れ、自分のやるべきことをまっとうする」と誓った。そう、それが戦うということ。アイオワがどうとか、ボスニアがどうとか、そういったことは関係ない。今の彼はオクタゴンを目の前にし、ここから去るつもりもない。ムタプチッチは「オレはいつもボスニア人がゴキブリみたいだと言っているんだ。奴らを追い払うなんてできないだろ」と笑う。「もし神様が第三次世界大戦や核攻撃を禁じるなら、ボスニア人にとって生き残る道のひとつだと思っている。あのままボスニアにとどまっていたら、こういうチャンスは絶対に得られなかっただろうし、こんな風になることはなかったんじゃないかな。今、自分がいる場所に心から満足している。このチャンスにしがみつくつもり。絶対に抜けだしてやるもんか」