引退表明のマイケル・ビスピン、酸いも甘いも知り尽くした不屈のファイター

UFC
マイケル・ビスピン【イギリス・ロンドン/2016年2月26日(Photo by Dean Mouhtaropoulos/Zuffa LLC/Zuffa LLC via Getty Images)】
マイケル・ビスピン【イギリス・ロンドン/2016年2月26日(Photo by Dean Mouhtaropoulos/Zuffa LLC/Zuffa LLC via Getty Images)】
マイケル・ビスピンは疲れ切った様子を見せつつも晴れやかな表情だった。巨大アリーナにUFCファイター用のロッカールームがなかった時代、ビスピンは他のファイターやそれぞれの関係者と共にラスベガスのハードロックホテルとカジノのバックステージエリアに座り、ある夜のメインイベントだったケニー・フロリアン対サム・スタウト戦に釘付けになっていた。

ビスピンはジ・アルティメット・ファイター(TUF)を制したばかり、これからはついに自分がやりたかったこと、試合だけをやって生きていけるようになる。2006年のことだった。

試合前、「とにかく何でもやってきた。でも、どれもこれもつまらない仕事だったし、何の派手さもない。食肉解体処理作業員だったこともあれば建設業者もやったし、肉体労働者だった」と明かしていたビスピン。

アメリカに発つ前、彼の人生が永遠に変わろうとしていた当時に従事した最後の仕事は室内装飾業者だ。ジョシュ・ヘインズ戦を2ラウンドでフィニッシュしたビスピンに将来を聞くとこう返ってきた。

「しばらくはどこの工場でも俺の顔を見なくて済むな」

そう笑ったビスピンが工場で働く姿は以来、2度と目にすることはなかった。その後、テレビスタジオで解説者を務めたり、俳優として活躍したりもしたビスピンだが、彼はいついかなる時もファイターだ。28日(月)に自ら正式に引退を表明した今なお、それは変わらない。

TUFシーズン3優勝を成し遂げた日から約12年、39歳になったビスピンは数々の名声を残してオクタゴンを去る。UFC世界ミドル級王者として君臨した期間はもちろん、UFC最多試合数(29試合)とUFC最多勝利数(20勝)はいずれもトップの記録を誇り、ダン・ヘンダーソンやルーク・ロックホールド、アンデウソン・シウバ、カン・リー、ブライアン・スタン、ジェイソン・ミラー、秋山成勲、クリス・リーベンなど数多の強敵を打ち負かしてきた。

すべては勝敗記録に現れるものではない。2007年にUFCが世界展開に打って出る中、ビスピンのトラッシュトークはMMAを虜にし、世界中のファンを魅了し、さらには母国イングランドのMMA界では主役の座を射止めたと言えばどうだろうか。

初期の頃、まだ誰もMMAについて知らない頃にはスポーツを説明しなければならず、ビスピンに求められたメディア対応が膨大な数に上ったことはあまり知られていない。しかも、ビスピンはUFCが生んだ最新のイギリス人スターを倒すことでキャリアを前進させられると意気込む強敵たちを相手に戦わなければならなかったのだ。それでも、マンチェスター出身のビスピンは常に対戦要求に応じ、その姿にヨーロッパのファンは酔いしれ、ビスピンを心から愛した。

一人のファイターがアリーナに集結した満員のファンから一身に声援を浴びるシーンはあまり想像できるものではないが、ビスピンは自身が出場していない、とあるヨーロッパのUFCイベントでそれを実現してみせたことがある。試合がまだ始まってもいないにもかかわらず、アリーナに抜けるトンネルからビスピンが出てくるやいなや、会場の興奮が爆発した。彼はただ笑みを浮かべていた。全員が彼を見ていた。ビスピンのキャリアを通して声援を送った人もブーイングを送った人も、誰しもが何かしらの反応を示したのがビスピンだ。

それがあるからビスピンはオクタゴンに向かい、勝利を重ねてきたのだろう。常に勝てたわけではない。年月を通してビスピンに対する一般の評価が変わったのもそのせいだ。トラッシュトークを繰り広げずとも、うぬぼれ気味な勝利宣言をせずとも、試合に臨めたかもしれない。それでも、倒れても常に立ち上がり、拳を握りしめて試合に備えた彼の存在には感謝すべきだと言える。

2017年、ジョルジュ・サン・ピエール戦を前にビスピンはこう打ち明けたことがある。

「初めて敗北を味わった時に辞めていれば今ここにこうしていることはなかっただろう。そういう教えは違う。子供たちにも良いレッスンにならない。人生だってそうさ。誰だって負けることはある。俺はスーパーマンじゃない。敗北はとても現実味のあることだし、かなり現実性の高いことでもある。2人の男が戦えばどちらかが勝者となり、どちらかは敗者となる。ただ、それはプレッシャーの一部であり、ゲームの一部だ。だから俺たちはやっている」

今となっては笑い話になっているが、マンチェスターでデニス・カーンと戦った2009年11月、ビスピンのキャリアが危機にひんしていると多くの者が考えていた。その4カ月前に初対決したダン・ヘンダーソン戦でノックアウト負けを喫していたビスピンがもう一度負ければ見限られてしまうだろうと言われていた。

出だしで劣勢に追い込まれたものの、第2ラウンドでカーンを仕留めたビスピンは次にオーストラリアで対戦したヴァンダレイ・シウバに判定負けを喫するも、試合後、UFCスタッフバスを迂回させて地元のマクドナルドに行きたがったクイントン・“ランペイジ”・ジャクソンに賛同するユーモアを見せていた。以降、7勝4敗の戦績を残したビスピンのキャリアはミドル級戦線に生き残っていたものの、タイトル挑戦権を得ることはなかった。

2014年11月にビスピンが戦って敗れたロックホールドが後にタイトルマッチに挑戦し、UFCミドル級王座を手に入れる。一方のビスピンはCB・ダラウェイに勝利して立て直すも、同じくトップコンテンダーだったターレス・レイチ戦に向けて準備を進める中でまだタイトルショットまで長い道程があると認めていた。

「ナンバー1コンテンダーになったことは何度もある。UFCが俺にチャンスをくれなかったとかそういうことじゃない。誰かのせいにする気はない。自分の責任だ」

ビスピンがレイチを打ち負かし、アンデウソン・シウバに勝利した後、UFC 199のメインイベントでロックホールドとの再戦を控えていたクリス・ワイドマンが負傷のため数週間後の試合を欠場しなければならなくなり、ここでビスピンにお呼びがかかる。そして2016年6月4日、不可能と思われた夢が現実になった。37歳にしてマイケル・ビスピンが世界王者に輝いたのである。

2016年10月に迎えたヘンダーソンとの防衛戦に判定勝ちしたビスピンだったが、2017年11月に開催されたUFC 217ではサン・ピエールに負けてベルトを喪失。その1週間後、対戦相手がいなくなったケルヴィン・ガステラムとの試合を受け入れる。GSP戦の敗北からわずか3週間後の開催だったにもかかわらずだ。これぞまさに、ビスピンが他と違うことを示す素晴らしい例だろう。結局、ビスピンのラストマッチとなったガステラム戦に敗れはしたものの、引退表明を受けてついにMMA界すべてが彼の味方となって現れた。

ビスピンは『Twitter(ツイッター)』に「俺の引退に関するすべての素晴らしいメッセージに心を打たれている。感謝を伝えなければならない人はごまんといるけれど、今は優しい言葉をくれたみんなに感謝したい。ちょくちょく引退すべきかな」とユーモアたっぷりなメッセージを投稿している。




ガステラム戦を前に「もうずっと忌み嫌われてきたけど、自分がマヌケのふりをしてきたんだし、自分が悔しいと思うことを言ってきた」と話したビスピンは「でも数年をかけて成長してきた。GSP戦後にはたくさん応援してもらったし、今回の試合を受けるにあたってはものすごい量のサポートがあった。本当にすごい。最高だよ。今後のインタビューでは失言グセをなんとかしなきゃな。まあそれがマイケル・ビスピンらしさだけど(笑)でもうん、本当にすごい」と続けた。

評価を欲しがりはしたものの決して必要としなかったファイターにとって、長年待ちわびた実にふさわしい評価と言えよう。ビスピンが必要としたのは人生の目的だ。家族の世話を可能とし、鏡を見れば自分に才能があると信じられる何か。戦いはそれを提供した。2006年にUFCとの契約を勝ち取った時、彼の心にあったのはそれがすべてだ。チャンピオンシップでもなく、名声でもなく、栄光でもない。

ラストマッチ前、ビスピンは次のように明かしていた。

「そこにいられて満足だったし、将来性のない仕事をしなくてすんでうれしかった。自分のちからに見合ったポテンシャルをようやく発揮できると思ったもんだ。それがとにかくうれしかったのさ。ずっと、将来性がなく最低賃金をもらう工場の仕事をやる以上のことができると思っていた。家族のためにいい生活ができるようになってうれしかったし、ずっと邁進し続けてきた」

ビスピンの妻レベッカと3人の子供――カラム、エリー、ルーカス――は間違いなく、ビスピンの功績と仕事ぶりを誇りに思っているはずだ。ファイターの生活は決して容易なものではない。マイケル・ビスピン以上に知る者はいないだろう。彼以上にうまくやれた者も多くはない。
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