ヒューストンのベストファイト10:前編

UFC
UFC 69:マット・セラ vs. ジョルジュ・サン・ピエール【アメリカ・テキサス州ヒューストン/2007年4月7日(Photo by Josh Hedges/Zuffa LLC via Getty Images)】
UFC 69:マット・セラ vs. ジョルジュ・サン・ピエール【アメリカ・テキサス州ヒューストン/2007年4月7日(Photo by Josh Hedges/Zuffa LLC via Getty Images)】
これまでにNBAのヒューストン・ロケッツのホームで8回のUFCイベントが行われてきた。昨年の夏にはUFCとトヨタ・センターが8月のUFC 265に始まる複数回のイベントのパートナーシップを発表している。

UFCは再びヒューストンに戻り、今年2回目のペイ・パー・ビュー・イベントであるUFC 271を開催する。メインカードはイズラエル・アデサニヤとロバート・ウィテカーのリマッチだ。その試合が近づいてきた今こそ、これまでに“ハッスル・タウン”ことヒューストンのオクタゴンで繰り広げられてきた熱戦を振り返るときかもしれない。

マット・セラ vs. ジョルジュ・サン・ピエール(UFC 69)

UFC史上最大の逆転劇といえばロンダ・ラウジーを倒したホリー・ホルムか、アマンダ・ヌネスに勝ったジュリアナ・ペーニャかといった議論が始まるだろう。しかし、NFLで最初の鮮やかな逆転といえば、トヨタ・センターのオクタゴンで起こったものだということには、疑問の余地はないはずだ。

サン・ピエールがマット・ヒューズとの2度目の対戦でウェルター級の王座を獲得してから、5カ月も経っていなかった。当時、サン・ピエールはこの階級とこの競技の未来を担うファイターであり、しばらくの間、チャンピオンの座を占めることになると見られていた。セラはプロとして9勝4敗をマークし、ジ・アルティメット・ファイター(TUF)シーズン4のウェルター級トーナメントの決勝戦でクリス・ライトルをスプリット判定で抑え、タイトル挑戦のチャンスをつかんでいる。

2人の試合は一方的な展開であっという間に終わると予想されていた。しかし、実際には誰もが想像しない方向へと展開していく。

サン・ピエールは自らのリーチと多様なスキルセットを生かし、セラにキックや遠くからのジャブで仕掛けた。それによってベテランをアウトサイドにとどめたサン・ピエールは、セラが近づいてこようとする度にその代償を払わせている。だが、第1ラウンド90秒時点でセラの動きが変わった。距離をつめるたびに攻撃を加える一方で、サン・ピエールからの反撃を防ぎ続けたのだ。

試合開始から3分が過ぎたとき、セラはフランス系カナダ人チャンピオンの側頭部に右からの一撃を加える。これによろめいたサン・ピエールに、圧倒的不利と見られていたセラが襲い掛かった。戴冠して間もなくの王者は、その場を逃れるより応戦することを選んだようだ。セラは優勢を最大限に生かして再びサン・ピエールに攻撃を加え、何度も打ち負かすと、最後はレフェリーのジョン・マッカーシーが試合を止めるまで、倒れたタイトルホルダーに拳を浴びせ続けた。

驚愕の瞬間は、15年近く経った今も、にわかに理解しがたいものであり続けている。

フランキー・エドガー vs. グレイ・メイナード(UFC 136)

エドガーとメイナードが最初に顔を合わせた際、2人は共に闘志を燃やし、ライト級の頂点を目指して前に進んでいく有望株だった。UTFシーズン5で頭角を現したメイナードはUFCで黒星をつけられることなく、エドガーを倒している。

両者は2011年1月1日にUFC 125で再び対峙。このとき、エドガーはライト級王者、メイナードはタイトルコンテンダーへと成長していた。MGMグランド・ガーデン・アリーナで行われた旧知の2人の試合はファイト・オブ・ザ・イヤーに選ばれている。メイナードはオープニングラウンドの最初から最後までエドガーに攻撃を浴びせ続けるも、“ジ・アンサー”ことエドガーは信じがたいほどの反撃を見せ、スプリット判定による引き分けで試合は終わった。

メイナードは結果に大きなショックを受けたが、この結果は同時に、すぐに3度目の対戦となるリマッチが組まれるはずであることを意味した。春の予定が10月までずれ込み、決戦の舞台はヒューストンのトヨタ・センター、UFC 136に決まった。

驚くべきことに、このバトルは2度目の対戦と同じような展開となった。第1ラウンドの中盤までメイナードがエドガーを痛めつけ、ラウンドの最後まで攻撃を出し続ける。最初のラウンドの終わりを告げるホーンが鳴った時、エドガーの顔は血にまみれていた。だが、やはりこの時もエドガーは苦境を生き延び、第2ラウンドから生まれ変わったような攻勢に転じる。

決定的な一打を加えることはないものの、大苦戦を強いられた第1ラウンドとは打って変わってエドガーは第3ラウンドになっても優勢を保つ。そして、第4ラウンドでついに、王者がこのバトルに幕を下ろした。

第4ラウンド開始1分、エドガーはメイナードに向かって右腕をうならせ、30秒後にもう打撃を浴びせてチャレンジャーにはっきりとしたダメージを与えている。さらに試合を荒らしたエドガーはメイナードの威力を削ぎ、反撃しようとしたメイナードの腕は空を切った。ラウンドの残り時間が1分を切ったところでエドガーはギアを上げてテイクダウンを奪うかに見えたが、メイナードはそれを守ってなおも立つ。ようやくメイナードをカンバスに崩したのは、チャンピオンのアッパーカットだった。

ケージに向かって後方によろけたところに3度の右腕を食らったメイナード。フェンス際で膝をつくと、エドガーからの容赦ない左の連打によって2人のバトルとライバル関係に決着がついている。

ギルバート・メレンデス vs. ディエゴ・サンチェス(UFC 166)

ここに奇妙な事実が一つある。21勝2敗を記録してUFCにやってきたストライクフォースライト級チャンピオンのメレンデスは、オクタゴンでは1勝しか挙げていない。

2013年にサンホセで行われたイベントで、メレンデスがベンソン・ヘンダーソンに勝っていたはずだと論じたい人々はいるだろう。だが、公式な記録では “スムース”ことヘンダーソンがスプリット判定勝ちを抑えめており、“エル・ニーニョ”ことメレンデスのUFCでの戦績は1勝6敗となっている。

しかし、その1勝が電撃的な勝利だった。

このバトルの最初の10分の大部分でメレンデスがその場を支配し、サンチェスを殴打して流血させ、完全に上を行っているように見えた。サンチェスがあまりにも後退していると感じられるたびにメレンデスは前進し続け、激しい競争を見せている。

第3ラウンドではライト級の戦士たちが互いを攻め立て、序盤からオクタゴンの中央でパンチの応酬になる。その姿は観客たちを興奮で立ち上がらせた。流血しながらもサンチェスは決して攻撃の手を緩めず、残り2分を過ぎたところでメレンデスに膝をつかせている。

これに抗ったメレンデスは逆境をしのぎ切り、2人は立った状態でラスト10秒に激しい打ち合いを見せる。ヒューストンの観客はこれに大歓声を送った。

メレンデスはユナニマス判定による勝利を手にし、2人の試合は敢闘試合賞(ファイト・オブ・ザ・ナイト)に選ばれた。また、2013年のファイト・オブ・ザ・イヤーの候補にも数えられている。メレンデスがその後にUFCでは5試合しかせず、勝利も挙げていないのに対し、サンチェスは13試合に出場し、不屈の精神と並ぶ者のない闘争心を見せ続けている。

ケイン・ヴェラスケス vs. ジュニオール・ドス・サントス(UFC 166)

こちらも3度の対決が行われた組み合わせだ。だが、エドガーとメイナードとはまったく違うストーリーになっている。

2011年11月に実施されたUFC on FOXではジュニオール・ドス・サントスが開始64秒でヴェラスケスを倒し、ヘビー級タイトルを獲得した。ヴェラスケスは13カ月後にUFC 155ですさまじい戦いを見せてドス・サントスに勝利し、2人の戦績を1対1の引き分けとしている。そうして、3度目の決戦が行われるに至ったのだ。

2人は3回の対戦の間に行われてきた他のファイターとのバトルで、それぞれに見事な勝利を収めてきた。ヴェラスケスは非タイトル戦とタイトル戦の双方でアントニオ・シウバに勝利。ドス・サントスはヴェラスケスとの最初の試合後にフランク・ミアからタイトルを防衛するのに成功し、UFC 155での敗戦から立ち直ると、マーク・ハントを第3ラウンドでノックアウトした。次の対決ではどちらが勝つことになるのか、予測は困難な状況だった。だが、答えはきわめて早い段階で明らかになった。

最後のバトルは2度目の試合の続きから始まったかのようだった。ヴェラスケスは10か月前の続きをやっているかのように、開始早々からドス・サントスに攻め込み、相手に一切の反撃の余地を与えない。プレッシャーとペースによってドス・サントスを圧倒したヴェラスケスは、すべてのラウンドのあらゆる瞬間にその眼前にとどまり続けており、それは第5ラウンドでストップがかかるまで続いた。

何年もの間、2人は階級のトップに向かって平行する道をたどっていた。二つの道は最後にぶつかり、その先にあるヘビー級の王座をかけた争いが行われたのだ。最初に白星を挙げたのはドス・サントスだったが、最後に笑ったのはヴェラスケスだった。

ダニエル・コーミエ vs. アレクサンダー・グスタフソン(UFC 192)

空位になっていたライトヘビー級の王座を獲得してから1カ月と少し、コーミエは自分が歯の立たなかった相手であるジョン・ジョーンズがライトヘビー級チャンピオンになる上で苦戦した相手であるグスタフソンと手合わせすることになった。スウェーデンの傑出した戦士であるグスタフソンは2年前にトロントでジョーンズを限界まで追い込んでいたのだ。

ジョーンズに対してやったのとまったく同じように、グスタフソンはコーミエに対し、勝利をつかむにはこれまでの誰よりも厳しい戦いを強いている。

この試合はどちらも譲ることのない5ラウンドの消耗戦になった。どちらかが優勢になりそうになると、もう一方が何らかのシャープな一手で試合を平衡状態に保つ。攻撃とカウンターが行きかうバトルであり、どちらが押しているかは見る瞬間によって変わっていく。最後のホーンが鳴った時、どちらが勝ったかの意見は見る者によって異なり、それはジャッジにしても同じことだった。

スプリット判定で勝利をつかんだのはコーミエで、当時のライトヘビー級でトップの地位を固めている。グスタフソンからしてみれば、UFC 192はもうすぐ手が届きそうだった王座を再び逃した一戦だった。

UFC 165でグスタフソンとジョーンズが繰り広げたバトルはUFCの殿堂に迎えられており、UFC史上最高のライトヘビー級マッチと言えるだろう。しかし、コーミエ対グスタフソンもそれに劣らない。一歩も引きさがらないグスタフソンによって、ヒューストンでその根性と魂をさらけだすことを強いられたコーミエ。その日トヨタ・センターを訪れていた観客たちは、自分たちが本物のバトルを目にしたことを実感しつつ帰路に就いたことだろう。
Facebook X LINE

オクタゴンガール
オフィシャルショップ
FANTASY