追悼:アンソニー・ジョンソン 1984-2022

UFC
アンソニー・ジョンソン【アメリカ・ニューヨーク州バッファロー/2017年4月8日(Photo by Josh Hedges/Zuffa LLC/Zuffa LLC via Getty Images)】
アンソニー・ジョンソン【アメリカ・ニューヨーク州バッファロー/2017年4月8日(Photo by Josh Hedges/Zuffa LLC/Zuffa LLC via Getty Images)】
“ランブル”ことアンソニー・ジョンソンはオクタゴンに現れた中で最も強力なパンチャーの一人にして、最も上位のノックアウトアーティストであり、あまりにも早く天に召されたファイターだった。UFCウェルター級とライトヘビー級で戦い、長い闘病生活を送っていたジョンソンが息を引き取った。まだ38歳だった。

アメリカ・ジョージア州ダブリンに生まれ、祖父母の元で育ったジョンソン少年は、周囲の環境を自分の中に取り入れて成長した。

2008年、ジョンソンは「俺が育ったのは小さな農場で、広い土地で走り回っていた」と語っている。幼い頃からいずれはアスリートになることが分かっているような少年で、ラッセン・カレッジ時代にはジュニアカレッジのレスリング国内チャンピオンに輝いている。

だが、その前から“ランブル”の中にはファイティングスピリットがあった。2012年に行われたインタビューで、ジョンソンはこう話している。

「いつも、いとこのテディベアをボコボコに殴っていた。テディベアは殴り返してこないだろ。でも、俺は家中にそれを投げ回して、WWEスタイルをやってたんだ。ボディスラムをやって、飛び乗り、パンチした。俺は小さいときからトレーニングしていたんだと思う。だから、それは俺の家族にとってはサプライズじゃなかった。ただの小さい子どもだった俺は、大きくなってテレビに出て、リアルにそれをやっている」

2006年、ジョンソンは総合格闘技(MMA)に転身する。これが完ぺきにフィットした。最初の3試合で白星を飾ったジョンソンは、2007年にショートノーティスでUFCデビューを遂げ、チャド・ライナーと対戦した。唐突にやってきたチャンスだが、試合が終わるのはそれ以上に唐突だった。大舞台でキャリアを開始したジョンソンは、13秒でこのバトルを終わらせている。

UFCでのキャリアを通じて、ジョンソンといえばノックアウトだった。ウェルター級でもライトヘビー級でも、吉田善行やチャーリー・ブレネマン、ホジェリオ・ノゲイラ、ライアン・ベイダー、アレクサンダー・グスタフソン、ジミ・マヌワ、グローバー・テイシェイラといった面々が、謙虚なパワーヒッターの前に膝をついている。

ジョンソンの一撃とはいかほどハードなのか? 友人であり、長年のチームメイトであるUFC殿堂の一人、ラシャド・エバンスは2017年にこう語っている。

「あいつのヒットは何かおかしいくらいハードだ。あのパンチのパワーをすごく独特にしているのは、特別そうしようと努力してるわけじゃないってとこだ。あいつはハードに当てようとしてるわけじゃない。ただスイングしてるだけで、それがクレイジーなんだ。たまに、軽くやろうとしているときにあいつがパンチを繰り出してきて、“おい、軽くだろ”って俺が言ったりする。あいつは“ハードに当てようとは思っていない。ただスイングしただけだ”と言ってくる。あいつからしたら本当にそうなんだ。でも、ヘビーで骨太だ。それが当たれば、苦痛って具合じゃない。ズンって感じで、ちょっとチカチカする。何度かそういうことがあって、俺は“おい、俺たちはスパーリングしてるんじゃなかったか?”って感じだった」

ブレネマンに話を聞けば「“止まらない”なんて言いながらレンガの壁に突っ込んでいくようなもんさ。そのまま壁にドーンだよ」と答えてくれた。

23勝6敗をマークする中で見事な勝利や忘れがたいバトルを見せてきたジョンソンは、UFCライトヘビー級タイトルを懸けてダニエル・コーミエに2度チャレンジした。そんな活躍をしながらもそれを鼻にかけることのなかったジョンソンは、オクタゴンの中でも外でも謙虚であり続け、仲間やファイトファンたちにいつまでも消えない印象を残している。


UFCファミリーはアンソニー・ジョンソンのご友人やご家族に、心からの哀悼の意を表します。
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