ラストファイトに臨むシーリー、「頂点でキャリアに幕を」

UFCファイトナイト
UFCファイトナイト・ロッテルダム:堀口恭司 vs. ニール・シーリー【オランダ・ロッテルダム/2016年5月9日(Photo by Dean Mouhtaropoulos/Getty Images)】
UFCファイトナイト・ロッテルダム:堀口恭司 vs. ニール・シーリー【オランダ・ロッテルダム/2016年5月9日(Photo by Dean Mouhtaropoulos/Getty Images)】
ニール・シーリーは日本時間17日(月)に行われるアレクサンドル・パントーハとの試合を最後に、余力を残したままMMA(総合格闘技)の世界を去る。

「正直言って、これがベストな形での引退だと思う。2、3戦前に去っているべきだったなんて誰かに言われるんじゃなくてね。(そうなれば)俺はジムに行って自分自身やトレーニングパートナーといったあらゆる人たちに、彼らがすぐに引き継ぎ、もう彼らと戦えない俺はこのまま去っていくつもりだとでも言うんだろう。だが、そうはならなかった。俺は今も同じ仲間たちと競い、強さもコンディションも申し分ない。引退を強く求められて去るのではなく、最高の状態のままやめていくんだ」とシーリーは語った。

37歳のシーリーには同年代のファイターの多くが有しているほどの経験値がない。それは競技を始めたタイミングが遅かったことや、フルタイムの仕事を抱えていたことが理由であり、シーリーには体をなまらせたり、トラブルを起こしたりする暇はなかった。2014年からUFCに参戦して3勝3敗を記録する中で、オクタゴンでストップをかけられたことが一度もないシーリー。2015年に地元アイルランドで開催されたファイトナイトで最後の勝利を飾った際には、ジョン・デロス・レイエスに対するサブミッション勝利に技能賞(パフォーマンス・オブ・ザ・ナイト)が与えられている。だが、2016年5月に堀口恭司と対戦したとき、自身の引き際を感じ始めるようになったという。

「これまで14年ほど、自分の体に無理強いをしてきた。MMAを始めたのが遅く、レイトフィニッシャーだったしね。(笑いながら)精神面は始めたばかりのときと同じくらいシャープだが、体はスローダウンし始めている。俺はトップレベルで自分のキャリアを締めくくりたい。それができるのがUFCだ。世界でもここまでたどり着いたファイターは多くない。ここから外されたときに、他のどの団体にも行きたくないんだ。だから、俺は頂点でやめたい」

昨年11月開催のファイトナイト・ベルファストに組み込まれたイアン・マッコール戦での引退を考えていたシーリーだが、直前になってマッコールが体調を崩したため試合はキャンセルに。その後、今年2月に開かれたUFC 208に同じ対戦カードが組まれたものの、今度は義理の母が亡くなったためにシーリーの出場が不可能となった。まるで総合格闘技の神が“2タップ”ことシーリーにまだやめるべきではないと告げているかのようだったが、シーリー本人は堀口戦が最後のオクタゴン登場機会になってしまう可能性を考えていたようだ。

「11月のベルファストは試合直前だったから、取り消しになって信じられなかった。本当につらかったんだ。あのキャンプにものすごく力を注いでいたし、イアン・マッコールを倒すとかは関係なく、彼と戦うために最高潮に整えなければならなかった。まさに自分をそういう状態にし、あの試合を本当に楽しみにしていた。それなのになくなったんだ。その後2月に日程が組まれたけれど、そのときにはちょっと違っていた。感じ方が変わっていなかったと言えばウソになる。あの試合に向けてモチベーションを立て直すのはかなりきつかった。義理の母が亡くなり、妻を残して旅立つなんてできなかった」

しかしながら、パントーハとの対決を前にしてシーリーの感触は良く、引退の決断を後悔してしまいそうになるほど準備万端だという。

「今は本当に良い感触。実際、引退を決めたことに落胆しているくらい。試合の喧騒(けんそう)は心から恋しくなるだろうけれど、誰にでもそのときは来る。全てのファイターに引き際がある。俺は、今がやめるべきときだと思っている」

最後の試合が終わった後、シーリーがどういった道を歩んでいくかが決っていないわけではない。シーリーはこれまで常に働いてきたし、夫妻の間には5番目の子どもが誕生する予定だ。だが、バトルのない新たなチャプターについてはいろいろと考えてしまうとシーリーは認めている。

「ベッドで考えていたんだ。“これから何をしよう。このむなしさをどうやって埋めよう。これに代わることのできるものは何だ?”って。この感覚に代わるものなどないから、とにかくそれを受け止めて、何か見つけよう」

バトルが恋しくなったなら、よく戦い抜いたそのキャリアを懐かしく思い出すのも悪くないだろう。シーリーはグローブとマウスピースをつけて登場し、本腰を入れて仕事に取りかかる、常に率直なファイターだった。この稼業は必ずしも採算の取れるものではなく、特にキャリア初期はそうだったようだ。

「俺のキャリアはパブでの対戦でスタートしたんだ。パブの外じゃない。パブの中にボクシングリングがあって、50人が入れた。俺は75kgでバトルしていたんだ」とシーリーは笑う。

「今、俺は世界最大のステージにいて、そこを去ろうとしている。素晴らしい友人ができたし、信じられないような人たちにも会ってきた」

シーリーが所属していたIrish Invasionは2014年にシーリー、コナー・マクレガー、パトリック・ホロハン、カハル・ペンドレッド、ノーマン・パークの全員がダブリンのO2で勝利するというピークを迎えていた。この中で今もUFCのロースターに残っているのはシーリーとマクレガーのみであり、2015年に当時無敗のクリス・ビールを倒した試合を忘れられない思い出の一つに上げるシーリーだが、ファンをゾクゾクさせるチャンスはあと一度残されている。

「これがパーフェクトなやり方さ。こっちに電話をしてきて、オクタゴンにオファーするに十分だと言ってくる人たちにとって、自分にはまだまだエネルギーが残されているってこと。そういうことを聞くのは大好きだ。日曜日に勝とうが負けようが、引き分けだろうが、俺は頭を高く上げて歩いて行く」
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