ヨーロッパ大陸に歴史を刻んだ名戦10:前編

UFC
UFCファイトナイト・ロンドン:オクタゴン【イギリス・ロンドン/2022年3月19日(Photo by Chris Unger/Zuffa LLC via Getty Images)】
UFCファイトナイト・ロンドン:オクタゴン【イギリス・ロンドン/2022年3月19日(Photo by Chris Unger/Zuffa LLC via Getty Images)】
UFCのパリデビューが迫っている。ヨーロッパの大地ではこれまでにも多くの記憶に残るバトルが繰り広げられてきた。そのいくつかを紹介したい。

これらの試合のすべてが――たとえその中のいくつかが他よりも強い印象を残す試合だったしても――必ずしもアメリカから大西洋を超えた地で行われた中で最高のバトルだというわけではないが、ヨーロッパの前哨基地で起こった重要な瞬間であることは確かだ。なぜそれが重要なのかを説明していこう。

どうかじっくりとこれらの瞬間に思いを馳せてほしい。

【マット・ヒューズ vs. カーロス・ニュートン(UFC 28)】
英国で初めて実施されたUFCのメインイベントとして行われたこの一戦は、UFC史上最も議論を呼んだ試合の再戦でもあった。

UFC 34で初めて対戦した際、チャレンジャーとしてニュートンと拳を合わせたヒューズは、第2ラウンドの序盤にトライアングルチョークにつかまった。ヒューズはニュートンを空中に持ち上げ、ケージの上部にその体を押し付けて一息ついた後、カンバスに叩きつけた・・・ように見えた。当初、ヒューズに喜びが見られなかったため、実際は気を失っており、チョークで意識を失ったためにニュートンをカンバスに打ちつけたのではないかとの見方が出ていた。

それにもかかわらず、ヒューズはロイヤル・アルバート・ホールに設置されたオクタゴンにウェルター級チャンピオンとして登場し、その立場を変えることなく去っていった。“ザ・ローニン”ことニュートンを第4ラウンドで仕留めてタイトルを守ったヒューズは、レスリング技で試合を終始リード。ヒューズは何度も相手と交差する形でのマウントポジションに移行し、肘を落とし、最終的にはそのポジションで勝負に決着をつけている。

ロンドンにチャンピオンシップ戦をもたらしたこの注目のリマッチは、UFCが最高の一戦をホームだけではなく、世界で見せたいという意思を持っていることを示す試合となった。

【ガブリエル・ゴンザーガ vs. ミルコ・クロコップ(UFC 70)】
2006年、クロコップはPRIDE無差別級グランプリでヴァンダレイ・シウバやジョシュ・バーネットを一晩の内に倒し、優勝を果たしている。その5カ月後にUFCデビューを遂げたクロコップはエディー・サンチェスを第1ラウンドで沈めており、ゴンザーガを倒してランディ・クートゥアとのヘビー級タイトル戦に臨むと思われていた。

しかし、ゴンザーガには別のビジョンがあった。

第1ラウンドの大半をトップポジションからコントロールしたゴンザーガはクロアチアのスーパースターをガードの内側から痛めつけており、レフェリーのハーブ・ディーンは第1ラウンド残り35秒の時点で2人を立たせている。仕切り直しから両者が相手の隙を探る中、ゴンザーガが唐突に繰り出したハイキックがクロコップにクリーンヒットし、パーフェクトなノックアウトにつながった。

これぞ“病院送りの右足”だったが、今回それを食らったのはPRIDE王者の方だった。

「そのとき、あなたはどこにいただろうか?」 まさにそんな語り口で受け継がれていくような瞬間だった。2000年代最初の10年が終わりに差しかかったこの頃にUFCの勢いは増し、プロモーションとして成長していったのだ。

【B.J.ペン vs. ジョー・スティーブンソン(UFC 80)】
“ザ・プロディジー“ことペンを軽んじたり、批判したりした際に、なぜ特定の年代のファンが徹底的に反論してくるのかを知りたければ、この試合を振り返ってみよう。その理由がおのずと分かるはずだ。

ライト級の王座が空位になっている中、その主を決めるべく元ウェルター級王者でMMA(総合格闘技)のアイコン的な存在だったペンと、TUF(ジ・アルティメット・ファイター)シーズン2のウイナーであるスティーブンソンがニューキャッスルで激突した。

開始3秒で痛烈な一撃を入れたペンは、スティーブンソンをオクタゴンの中央に倒す。体勢を整えようとしたスティーブンソンだが、立ち上がることはできず、ショートパンチやエルボーの連打を受けて生え際に大きな切り傷を作った。スティーブンソンがペンの下で流血し続ける中で第1ラウンドは終了している。

名カットマンである故レオン・タブスが懸命に処置にあたったものの、スティーブンソンの前頭部からの流血を食い止めることはできない。第2ラウンド開始から果敢に戦ったスティーブンソンだが、忍耐強くカットを攻め続けたペンが最終的にクリーンなパンチを当て、第2ラウンドが半ばまで来たところでスティーブンソンを再びカンバスに倒した。

そこからは現実離れしていた。マウントを取ったペンはついにスティーブンソンが背中を見せた隙にリアネイキドチョークを決めている。

ペンはついにその手をすり抜けていたライト級タイトルをつかんだ。ランディ・クートゥアと並び、2つの異なる階級でチャンピオンシップを制した2人目のファイターとなったのだ。

【カーロス・コンディット vs. ダン・ハーディ(UFC 120)】
この試合はウェルター級の大勝負だっただけではなく、6カ月と少し前にジョルジュ・サン・ピエールを相手に善戦したハーディにとっては地元で戦うチャンスでもあった。

WECウェルター級王者に輝いた後、デビュー戦でマルティン・カンプマンにスプリット判定で敗れたコンディットは、ジェイク・エレンバーガーとローリー・マクドナルドに2連勝した波に乗っていた。地元の大スターであるハーディは世界的な有名ファイターに成長し、4連勝という形でUFCのキャリアをスタート。サン・ピエール戦でタイトルに挑むチャンスを手にしている。敗北はしたものの、“ジ・アウトロー“の異名を持つハーディはタフに食い下がり、自分がウェルター級の上部にいる選手であることを証明した。

2人はお互いへの敬意を示しつつ、距離を取ってハードなキックを放ち、不用意に、また、頻繁にポケットに入らないよう慎重な姿勢を見せた。ハーディがいくつかのフックを当てるたびに地元観衆の顔に笑顔が浮かんだものの、コンディットにとってそれほどの問題にはならなかったようだ。コンディットは止まることなく打撃を受けつつ、可能な際には反撃している。

数分間にわたってバトルはトーンダウンし、両者が様子見しながらの攻撃となる。ハーディは引き続き左フックを試み、それによってやや優勢になり、一時はコンディットを痛めつけたように見えていた。これに自信を得たハーディはやや強く前に出るようになる。

ハーディは左フックで顎を狙った。何度も、何度も。コンディットがポケットに踏み込んだとき、ハーディはもう一度同じことをやろうとした。しかし、パンチによって打ちのめされてしまったのだ。左フックを顎に当てたのは“ザ・ナチュラルボーン・キラー”ことコンディットの方であり、戦いは一瞬で幕を閉じた。

リプレーを見れば、ハーディがコンディットに攻撃を当て、よろめかせているのが確認できる。しかし、コンディットがより速く、より強い一撃でハーディを崩し、試合を終わりへと導いた。

【コナー・マクレガー vs. ディエゴ・ブランダオン(UFCファイトナイト 46)】
マクレガーがUFCのスーパースターになるには2試合しかかからなかった。しかし、その2試合目でアイルランド出身のマクレガーはACL(前十字靭帯/ぜんじゅうじじんたい)を断裂し、戦線を離れることを余儀なくされている。

この試合はマクレガーの復帰戦だったのみならず、ホームタウンのダブリンで行われた試合であり、O2アリーナに訪れた刺激的な夜のメインイベントだった。実際の来場者は9,500人という記録が残っているが、スクリーンに見入った者を含めれば、現地には2倍から3倍の人がいるような感触だった。

マクレガーが攻撃を当てるたびに会場のファンは一斉に雄叫びを挙げ、“オーレ”のコーラスがアリーナに響く。彼らが全力で叫び続ける中、マクレガーは疲労が見え始めたブランダオンにより頻繁に攻撃を当てるようになった。これ以上ボリュームを上げようもないと思われていたファンの声援はどういうわけかさらに高まり、フィニッシュが決まったときには屋根を吹き飛ばさんばかりだった。

それから1年も経たずに、マクレガーはフェザー級暫定王座を集中にする。さらに5カ月後、マクレガーはジョゼ・アルドを13秒でノックアウトした。マクレガーのスーパースターへの道がO2アリーナで始まったわけではない。しかし、その歩みが爆発的に加速したのが、ここだった。
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