ジェンス・パルヴァーが2023年度のUFC殿堂メンバーに

UFC
ジェンス・パルヴァー 【2007年12月12日(Photo by Josh Hedges/Zuffa LLC/Zuffa LLC via Getty Images)】
ジェンス・パルヴァー 【2007年12月12日(Photo by Josh Hedges/Zuffa LLC/Zuffa LLC via Getty Images)】
元UFCライト級王者のジェンス・パルヴァーが2023年にUFC殿堂のパイオニア部門に迎えられる。『Toyo Tires(トーヨータイヤ)』提供2023年UFC殿堂入りセレモニーは、今夏にラスベガスで行われる第11回UFCインターナショナルファイトウイークの中で実施され、『UFC FIGHT PASS(UFCファイトパス)』によってストリーミング配信される。

UFC会長のデイナ・ホワイトは「ジェンス・パルヴァーはこのスポーツのパイオニアであり、UFC史上初のライト級チャンピオンになっただけではなく、このスポーツの最も記憶に残る瞬間のいくつかに数えられるのがふさわしい選手だ」と語った。

「ジョン・ルイスに対する彼のノックアウトやB.J.ペンとの最初の対決での勝利は誰にとっても忘れられないし、2008年のユライア・フェイバーとの試合は当時、WECの歴史上で最大のバトルだった。ジェンスはオクタゴンですべてをやることができたし、彼をこの夏にUFC殿堂に迎えるのは光栄なことだ」

パルヴァーはパイオニア部門の18人目のメンバーとしてUFC殿堂に迎えられる。パイオニア部門は(総合格闘技の統合ルールが承認された)2000年11月17日以降にプロに転向し、35歳以上で引退から1年以上が経過したアスリートを対象としている。

14年のプロMMAアスリートとしてのキャリアの中で47試合を戦ったベテランであるパルヴァーは、27勝19敗1分(UFC、プライド、修斗、WECで11勝9敗1分)を記録し、UFCの殿堂メンバーであるB.J.ペンやカブ・スワンソン、元修斗ライト級王者の宇野薫、ジ・アルティメット・ファイター®(TUF)シーズン2の優勝者であるジョー・スティーブンソン、元WEC®フェザー級チャンピオンのコール・エスコヴィードから白星を奪っている。

パルヴァーはバス・ルッテン・インビテーショナルの2試合が組まれた1999年4月24日と6月1日にプロMMAデビューを果たした。UFC殿堂に迎えられた一人であるバス・ルッテンがプロデュースするMMAトーナメントであるこのイベントで、パルヴァーは3勝1敗を記録。その後、UFCに加わっている。

パルヴァーのUFCデビューはアメリカ・ルイジアナ州レイクチャールズで1999年9月24日に実施されたUFC®22:オンリー・ワン・キャン・ビー・チャンピオン。パルヴァーはアルフォンソ・アルカレスと戦い、引き分けている。それ以降は巻き返し、UFCでの2勝0敗を含めて6戦中5試合で勝利した。

パルヴァーはUFCで4試合目である、2000年11月17日に行われたUFC®28:ハイ・ステークスでのジョン・ルイス戦でオクタゴンに戻ってくる。第1ラウンド開始15秒でルイスをノックアウトしたパルファーは、UFC 30での初めてのタイトル挑戦の機会を得た。ルイスに対するノックアウトはライト級で歴代5位の速さだった。

UFC® 30:バトル・オン・ザ・ボードウオークは2001年2月23日にニュージャージー州アトランティックシティで、『Zuffa(ズッファ)』が主催する初めてのUFCイベントとして行われた。

パルヴァーは初の155パウンド(当時のバンタム級)タイトルがかかったセミメインイベントで宇野薫と対戦。宇野をユナニマスデシジョンで抑えたパルヴァーが、UFC最初のバンタム級王者となった。このイベントの後、バンタム級はライト級へと呼称を改められ、パルファーはUFCの初代ライト級チャンピオンとなっている。

次にパルヴァーがオクタゴンに戻ってきたのは2001年9月28日に行われたUFC® 33:ビクトリー・イン・ベガスのセミメインイベントだった。このイベントはネバダ州アスレチックコミッションの認可の下で行われた最初のイベントにあたる。パルヴァーはデニス・ホールマンをユナニマス判定で下し、タイトル防衛に成功した初めてのUFCライト級チャンピオンとして歴史に名を刻んだ。

続くタイトル防衛戦は2002年1月11日に実施された。UFC®35:スロウダウンでパルヴァーが対戦した相手は、未来の殿堂メンバーであるB.J.ペンだ。UFC史上最もエキサイティングな一戦に数えられるこの試合では、パルヴァーがマジョリティデシジョンでペンを下している。このイベントはライト級アスリート同士の対決がメインを務めた初めてのUFCイベントでもあった。

このイベントの後、パルヴァーはタイトルを空位にしてUFCを離れる。オクタゴンで活動した1回目の期間(1999年から2002年)で、パルヴァーは打撃のトータル(482回)、および重大な打撃(222回)でライト級の記録を打ち立てた。

パルヴァーはそこから4年間で、数々のMMA団体で13試合に登場。最もよく知られているのはPRIDEと修斗で、その期間を経てUEC® 63:ヒューズ vs. ペン2でジョー・ローゾンとの試合によってUFCに戻ってきた。パルヴァーはローゾンとの復帰戦で敗れ、その翌戦であるジ・アルティメット・ファイター®(TUF)シーズン5フィナーレのメインイベントだったペンとの再戦も落としている。このイベントを終えて、パルヴァーはUFCに2度目の、そして最後の別れを告げた。

キャリア最後の6年で、パルヴァーはさまざまなMMA団体の最高のアスリートたちと戦い続ける。WECやタイタンFCなどで活動したパルヴァーは、2013年11月23年に競技から引退した。

ワシントン州サニーサイド出身のパルヴァーは、(エレメンタリースクールの)6年生のときに青少年のレスリングプログラムに加入し、高校まで競技を続けた。メープルバレーにあるタホマ・シニア・ハイスクールの学生として、2度の州タイトル獲得を果たしている。

ワシントン州デモインのハイライン・コミュニティ・カレッジでカレッジレスリングのキャリアをスタートし、NJCAAのオールアメリカンに輝く。ボイシ州立大学に移ってからは、負傷でカレッジレスリングのキャリアが絶たれるまで競技に参加している。ボイシ州立大学での学業は続け、刑事司法の学位を取得した。

卒業後、パルヴァーはレスリングからMMAに転身。さまざまな陣営でトレーニングを積んだ後、UFC殿堂の一人であるパット・ミレティッチが主宰するミレティッチ・ファイティング・システムズ・アカデミーに加入した。現在は妻や2人のこどもと共に、アイオワ州に暮らしている。

また、パルヴァーはUFCの公式『Twitch(ツイッチ)』のレギュラー司会者であり、1週間に3回のライブ配信を実施。また、すべてのUFCイベントの同時視聴を行っている。
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